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『生活をトータルにみて支援する』。 これが老健リハの醍醐味

『生活をトータルにみて支援する』。 これが老健リハの醍醐味
(2005年8月31日公開)


リハビリは「相手をいかに肯定するか」から始まる

高椋 今日は橋元先生、飯田さんをお招きして、老健施設のリハビリについて、さまざまな角度から話をしたいと思います。  
私は医師で、全老健役員として、また、老健施設の施設長、理事長として老健施設にかかわっています。橋元先生は地域リハビリにも造詣の深いセラピスト養成校の教員としてご活躍で、飯田さんは実際に老健施設でセラピストとして働いておられます。
まず、飯田さんにお聞きしますが、いま関心のあることは何ですか。

飯田 私は作業療法士(以下、OT)で、いまは福岡県の水光苑という老健施設で働いています。関心ということではありませんが、OTとしては、老健施設という高齢者リハビリの実践の場で、アクティビティをどうとらえ、どのように実践するかということが常に課題になります。アクティビティという言葉はよく使われますが、その概念と実践をどうしたらスムーズに結びつけられるかをよく考えます。
現場ではどうしても既定のプログラム優先の実践になりがちです。ですから、それを利用者本位で、自由な視点から提供できるようにするための工夫をしています。

橋元 リハビリテーションというものはそもそも、相手をいかに肯定するか、ということから始まるものだと思います。それゆえに、セラピスト自身に幅がなければ、利用者本位ではなく、どうしても利用者をすでにあるプログラムに乗せようとしてしまいます。  
アクティビティとはどういうことか。そして、利用者の選択を受け入れるだけの度量をもっているか。むずかしいことですが、それが一方では作業療法の醍醐味なのだと思います。

飯田 アクティビティについての知識はもっている。でも、利用者の方と一緒に、それを実践するとなると尻込みしてしまうこともあります。

自分ができなくても利用者が知っていることもある

橋元 「専門職だから全部できなければいけない」ということではないと思います。たとえば、手工芸のプログラムにしても、作品を作ることが目的ではありません。重要なのはプロセスです。なのに、「する」ことに構えてしまって、自分はこれが下手だからやらなくなるというのはおかしいことです。

飯田 そうなんですよね。私も経験するのですが、自分が十分やりかたがわからないことでも、実践することで見えてくる利用者の像もあるんです。
たとえば、認知症の利用者さんでも、その人にとって「昔とった杵柄」の作業であれば、利用者さんのほうが進めてくれて私のほうが教えてもらえる、といったこともあります。私は老健施設に来て、こういうかかわり方もあるということを知りました。

高椋 私もよくスタッフに言うのですが、失敗してもいいんですよ。失敗自体は大きな問題じゃない。利用者の状態をよく知り、働きかけをすることで何か少しでも改善させることが重要です。でも、そうはいっても、特に経験が浅かったりすると、やるほうはなかなか勇気が出ない。そういうこともあるんでしょうね。

橋元 老健施設は生活に着目したリハビリの実践の場です。ならば、利用者の生活史に着目するといいと思います。現在の老健施設の利用者である高齢者は、戦後の文化のなかで生きてこられた方です。
作業療法で使うアクティビティは、見方を変えると、人間が有史以来、生活を営む際に行ってきた手段です。その作業によって先人たちは生活を構築してきたのです。
生活を構築してきたツールを使うわけですから、生活を見る老健施設という場所では表現しやすいはずです。飯田さんが認知症の利用者の方から教わることがあるという話をされましたが、たとえば、認知症の方で炊飯器のスイッチは押せなくても、お釜に米という組み合わせを用意したら、米をといでご飯を炊けるかもしれない。
認知症だからスイッチさえ押せないということで終わるのではなく、そういう能力を見出せるようなアセスメントが必要です。

具体的動作の背景にまで関心をもってアセスメントする

高椋 私は立場上、老健施設のリハビリのあり方を考える機会が多いのです。リハビリの目的は実践の場所によって変わるものではないと思います。ですが、実際に使う手法については、たと えば、急性期病院と老健施設では違うでしょう。
そこで、老健施設のリハビリを行う上で重要な視点は、橋元先生が指摘する「生活」と、変化についての感受性、センスではないかと思うのです。

橋元 たとえば、日常生活活動の指導をするということを考えます。
食事摂取を例にとると、口が開けられますか、咀嚼できますか、嚥下できますか……ということがアセスメントの対象となるようにいわれている。しかし、その基本には、どんな姿勢がどれぐらいの時間がとれるかが必要です。
たとえば、ある人は30分なら座位がとれるとします。すると、その人は30分で終了する食事でないと「食事はできない」。懐石料理のコースを出しても最後まで食べることはできないでしょう。これは、咀嚼や嚥下といった食事動作に直接かかわるものが理由になっているのではなく、姿勢の保持時間が影響する結果です。そして肝心なことは、一つの行動をアセスメントする際に、こういう幅広い解釈をすることができるかどうかです。

老健施設のリハビリでは、そういうアセスメントをしなければいけない。この人は座位がとれるかどうか、とれるとすればそれはどのくらいの時間か。それを食事という日常生活活動のアセスメントに取り入れる。また、トイレに行って排泄できるかだけをみるのではなく、何分かかるか、その動作の背景にあるその人の能力はどういう状況であるか。関連する事項を総合的にアセスメントする必要があります。
そうすれば、自分が行う仕事の意義を明確に位置づけることにつながる。そして、そうした内容を外部に伝えることができれば、それに触れた学生も老健施設に魅力を感じるようになるはずです。

看護・介護など他職種から学ぶリハビリのあり方

高椋 老健施設はチームケアが基本です。そこでは、専門職同士のチームワークだけでなく、他職種とのチームワークが求められます。よく看護・ 介護・リハビリなど、それぞれの職種間で確執があるという話を聞くことがありますが、飯田さんのところはどうですか。

飯田 私の施設は、全く問題がないというわけではありませんが、看護・介護も私たちセラピストも仲がいいですね。

高椋 それぞれ独立した専門職ですから、少なからず考え方の違いや確執もあるでしょう。言い換えれば、そうでないとお互いの職種の存在意義がなくなってしまいます。問題はそれがどの程 度かということです。 老健施設のチームケアについてエピソードはありますか。

飯田 看護や介護など他職種との協働のあり方には考えさせられることがありますし、また、そのなかで学ぶことも多いですね。
病院から異動した当初は、私は、利用者の方が、自分が十分やりかたがわからないことでも、実践することで見えてくる利用者の像もあるんで す。
たとえば、認知症の利用者さんでも、その人にとって「昔とった杵柄」の作業であれば、利用者さんのほうが進めてくれて私のほうが教えてもらえる、といったこともあります。私は老健施設に来て、こういうかかわり方もあるということを知りました。

高椋 私もよくスタッフに言うのですが、失敗してもいいんですよ。失敗自体は大きな問題じゃない。利用者の状態をよく知り、働きかけをすることで何か少しでも改善させることが重要です。でも、そうはいっても、特に経験が浅かったりすると、やるほうはなかなか勇気が出ない。そういうこともあるんでしょうね。

橋元 老健施設は生活に着目したリハビリの実践の場です。ならば、利用者の生活史に着目するといいと思います。現在の老健施設の利用者である高齢者は、戦後の文化のなかで生きてこられた方です。
作業療法で使うアクティビティは、見方を変えると、人間が有史以来、生活を営む際に行ってきた手段です。その作業によって先人たちは生活を構築してきたのです。  

生活を構築してきたツールを使うわけですから、生活を見る老健施設という場所では表現しやすいはずです。飯田さんが認知症の利用者の方から教わることがあるという話をされましたが、たとえば、認知症の方で炊飯器のスイッチは押せなくても、お釜に米という組み合わせを用意したら、米をといでご飯を炊けるかもしれない。
認知症だからスイッチさえ押せないということで終わるのではなく、そういう能力を見出せるようなアセスメントが必要です。

重要なのは24時間継続する生活をトータルに見ること

橋元 生活というものは24時間継続しています。そのなかでどのようにリハビリを行うかということになると、セルフケアの時間を含め、1日をトータルにみる必要があります。
ある調査によると、入院患者には1日のうち何も予定のない自由な時間が28%あるといいます。これは結局、セラピストがじっくり歩行訓練をするといっても、自由にしている時間のほうが長いということです。そういう視点から老健施設のリハビリの実践を考える必要があります。そして、たとえば実習で訪れる学生にもそういう面を気づかせてほしいと思います。

高椋 場面場面を断片的にとらえるだけではなく、24時間連続する生活をみられるかがポイントですね。

橋元 私の研究テーマでもあるのですが、人は夜寝ているときにも身体を動かしています。ならば、この利用者は夜どのように身体を動かしているか。それをみることで、プログラムや支援のあり方も変わるかもしれない。
24時間365日の生活を支援するリハビリのあり方。実はその実践の場として老健施設はもっともふさわしい場所だと思うのです。老健施設は、そういうところをもっとPRしたらいい。

単に、いろんなアクティビティができますというのではなく、その人のもっている基礎的な体力などのデータをそろえ、それを生活支援という観点から総合的にアセスメントして、その上で、その人なりのモチベーションやQOLの向上を考えて実践することが必要です。そこでの基本は、生活って何だろうということを考えることです。

高椋 それはとても魅力的な話ですね。たとえば、利用者に関する総合的なデータがあって、総合的なアセスメントのもとにリハビリプログラムが組まれている。つまり、ある目標のもと、あらゆる情報がつながってプログラムが構築されている。こういうことがわかれば、学生さんもこういうところで仕事をしたいなあという気になるでしょうね。

施設で育てる、地域で育てる 老健施設にも育てる視点が必要

高椋 私が今関心をもっているのが、老健施設のなかでセラピストをどのように育てたらいいかということです。

橋元 老健施設は多職種が集まって協働でチームケアを行うわけですから、まずは、自分のポジションがどういうところにあるかを考えさせることが必要でしょう。つまり、PTだけが集まって「老健施設の理学療法とはどうあるべきか」をいくら考えても、情報として限られるし、生活をみるという視点も自ずと狭くなる。また、施設の中だけでなく、地域というフィールドを活用することも重要ではないでしょうか。地域ケースカンファレンスに積極的に参加して、そこでたとえばケアマネジャーさんたちと意見交換をすることも勉強になると思います。
そういう取り組みの中で、自発的に何か関心事を見つけると、自分から学ぶようになるはずです。

高椋 そうなのですね。私の施設では、学生実習には、数年の経験のある者をスーパーバイザーとしてあてて指導する体制をとっています。この前、スーパーバイザーにしたセラピストと久しぶりに2人で話す機会があったのです。私はそのセラピストは勉強が苦手だし、あまり好きじゃないと思っていたのですが、話を聞くと、そのセラピストが「今は時間が惜しい、少しでも多く勉強したい」という。
実は、後輩が長期実習に来た。自分がスーパーバイザーとなったので、中途半端な知識で教えてはいけないと思って、家に帰って学生時代の 科書をひっくりかえして勉強しているというのです。なるほど、こういうことがモチベーションになるのだなと実感しました。いきいきしているんです。

そのセラピストにこの間、車椅子のリフォームの方法を考える課題を出したのです。そうしたらますます勉強するようになった。モチベーションというのはほんのちょっとしたことで上がるのですね。
そのためには、施設管理者もそういうことに気を配り、ほめたり、あなたのことを気にしているということを常に伝え続ける必要がありますね。老健施設も育てる努力をして、そのことを打ち出していかないとなかなか来てくれません。

橋元 そういう施設長のいる老健施設なら、学校としても学生を安心して輩出できます。施設のそういう努力は、そこで働くセラピストの先輩をみればわかります。 ただ、現在の施設基準は100床にPTあるいは OTが1人。老健施設の施設長のなかにはセラピストが1人いれば安心という人もいます。しかし、施設として解決すべきは、利用者がもつ課題のはずです。それはセラピストが入っただけで解決するものではありません。
いくら口で「君に期待している」といっても本人にはその具体的なものが見えないわけです。何に期待されているのか。もしかしたら自分ではなく、資格に期待されているのかもしれない…… そんな不安にかられてしまうものです。

実習先としての老健施設 いいところは先輩をみればわかる

高椋 教育というところから実習の話になってきましたが、実習先としてみた場合の老健施設はどのようなものでしょう。

橋元 老健施設を実習先として考える場合、われわれはまずスーパーバイザーが同職種であるかを確認します。理学療法実習なら、PTのスーパー バイザーがいて初めて契約が成立する。施設側がうちの教育係はOTです、看護師長です、ケアマネですからといっても、わが国の高齢者リハビリの教育の現状はまだそういう時代には至っていません。

それを突き詰めると、理学療法士が1人のところでは実習をお願いできない。誰が学生見るのという話になるからです。複数いて、チームワークがあり、科学的にプログラムが組まれているところが候補になります。事実、そういう老健施設も最近増えてきていますね。われわれの学校では、実習施設数の1割ぐらいを老健施設にお願いしていま す。 鍵は、やはりそこで働いているセラピストです。
学校も老健施設と良好な付き合いを望んでいますから、そのためには日頃からのスタッフとのコミュニケーションが必要です。そしてなんといっても老健施設としての、高齢者リハビリについての理念をしっかりもっておられるところとお付き合いしたい。

飯田 セラピストの免許や、介護報酬の加算のためだけではなく、なぜ自分たちがセラピストを必要としているのかを、リハビリの目標や利用者さんのニーズ実現と結びつけて考えていくことが重要だと思います。私たちの施設でも、もっとこういうことを実現したいからセラピストが必要だということを説明しています。

橋元 何より、実習に行った学生はスーパーバイザーを、施設をしっかり見ています。そこに尊敬できるスーパーバイザーがいて、こういうセラピ ストになりたいと思えば、学生は飛び込んでいきます。
学生が共通して言うのは、「自分の施設を卑下するようなスーパーバイザーの施設には行きたくないと」いうことです。「俺は本当はこんなところで働きたくない」という先輩のいる施設は魅力を感じないようです。
また、同じ入浴介助をするにしても、PTが入浴介助をする根拠をしっかり説明できる。これは介護ではなくリハビリである、居宅に帰ったときに生じる問題への対応であると説明できるようなリハビリの実践があれば、今の時代、老健施設は学生にとって魅力的な勤務場所になると思います。

これから期待される老健施設のリハビリ

飯田 学生は老健施設のリハビリを理解するときに、どうしてもプログラム優先で考えがちです。
今この人はこういう感じだからこのことをしようかなといった、自由な発想で「一緒にやってみよう」という実践を伝えられればと思います。 実習でも、まず、利用者さんがどんな生活をしているか見てごらんというところから始めています。そういう活動を学生のときからできたら、施設の業務の流れにとらわれないで、利用者さん本位にリハビリが提供できるようにどんどんなっていくと思うのです。

高椋 最後に橋元先生、ひと言お願いします。

橋元 これからの高齢者リハビリは老健施設が拠点となっていくはずです。病院や回復期リハビリ病棟があっても、家で暮らすということの実現のためには、老健施設は非常に重要な要素を持っていると思います。

その意味で、生活支援の何たるかを老健施設が示す必要性があります。そのためには、治療ということがベースにあったとしても、もっと社会化された、人間形成が必要になってくるでしょう。21,22歳の学生が70,80歳の利用者の生活をみるわけです。われわれも学生も老健施設もそこで働くセラピストもまだまだ勉強が必要です。
そのためには、養成校に規定された地域保健のカリキュラム時間はあまりにも少ない。93単位のうち4単位、100時間程度で、あとは養成校の裁量。ですから現在では老健実習をしないという選択肢もある。

しかし、これだけ学生の供給率が上がったときに、高齢者リハビリの世界に参画する学生を育てなければならないということは養成校もよくわかっています。全老健では短期集中リハビリについての検討もすでに行っているようです。このようにある課題を持って施設に入るということは、ヨーロッパでは病院でもよく行われていたことです。日本の病院ではむずかしいですから、それは老健施設ですることが望まれます。
私はこれからの老健施設に大いに期待しています。養成校ともうまく連携をしていただいて、これからの高齢者リハビリの人材育成に貢献いただきたいと思います。

高椋 今日はどうもありがとうございました。

(役職等は2005年8月31日公開時点のものです)